諦めて、関わる事を避けてきたそれまでの臆病な自分。


 流れるに任せて、引かれてきた軌跡。





 ラインを引く手






 おかしいとは思っていたのだ。


 今日はよく声をかけられる。
 その度に葉月は足止めをくらって、なかなか教室に戻れなくて。
 ・・・・・・一つひとつは大した用件ではないというのに。

「よお!葉月。あのよう、俺お前に用があってさ」

 はじめに呼び出された相手は鈴鹿で。
 彼は困ったような顔をしながら、教室の後方の出入り口から葉月を呼んだ。

「ここじゃアレだからさ、ちょっといいか?」
「・・・・・・何だ」
「だからさ、こっち来てくれよ」

 しぶしぶついていった先で、鈴鹿は曖昧に笑って。

「・・・・・・で?話って何だ」
「え?あ・・・・・・ああ、えーと、うーんと」
「用がないなら帰る」
「いやっ、それはダメだ!・・・・・・・・・・・・今日、いい天気だよなっ」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」

 沈黙に軽い怒りを覚えていると姫条がその間に割って入って、全く意味のない世間話をさせられて。
 鞄を残したままの教室に戻ろうと適当に切り上げた所で、途中で会った三原とモデルになるか否かの押し問答になった。
 そこに守村が駆けてきて、申し訳なさそうに、これまた急を要さないような取り止めのない植物談義をしていると、お二人に会えて光栄ッス、と日比谷が加わって。

 ―――極めつけは。

「ああ、葉月か。ちょうどいい所で会えた。少し君の手を借りたい」
「・・・・・・日直じゃないですよ、俺」
「それは承知している」
「・・・・・・教室、戻りたいんですけど」
「そうだろうな」
「え?」
「あ、いや、こちらの話だ。―――この間の遅刻の罰だとでも考えてくれればいいだろう」

 氷室に有無を言わさず職員室に連行された挙句。
 全く急ぎとは思えない、プリントをまとめる作業を手伝わされることになったのだ。










 土曜の授業は午前中だけで。
 明るい日差しが差し込む職員室の窓際からは、下校する生徒の後姿が見える。
 氷室は一画の作業スペースに葉月を座らせると、プリントの山を与えて苦笑した。

「では、3枚で一組だ。このホチキスを使うように。質問はあるか?」
「・・・・・・・・・・・・別に」
「急がなくても宜しい。健闘を祈る」

 そう言って自分の机に戻ると、時折葉月の方を確認しながら何やら忙しく仕事をしている。
 どんな理由を述べても無駄だろう。諦めて手元の紙の束に視線を移して、葉月は与えられた仕事に手をつけることにした。





 開け放たれた窓からは、時折生徒たちの笑い声が響いてきて、その陽気といい、葉月のやる気を削いでいく。

(・・・・・・もう、帰っただろうな)

 いつでも、どんな時でも近くにいたい。彼女の存在を感じていたいと。
 その感情の名を恋というものだと自覚してから、いっそう歯止めが効かなくて。

 視界に彼女がいるだけで、穏やかにいられる自分を最近知った。

 そよぐ風に髪を任せたまま。
 ぼんやりと外を見つめては、そこに彼女の姿を探す。



 ―――それは無意識の願望。







 時間にしてみればほんの2、30分なのだろう。
 いつの間にか氷室が傍に近寄って、そのやる気のない仕事振りを見下ろしていた。

「眠くなったか?」
「・・・・・・それよりも先生、俺―――」
「ん?なんだ?」
「腹、減りました」
「・・・・・・・・・・・・そうだろうな」

 曖昧に笑った氷室は左腕の時計を見て、こんな時間だからな、と呟いた。
 職員室も、ほとんど人気はない。昼時でもあるのだろうし、退出した教師も多いのだろう。

「先生、食事は?」
「ああ、私は・・・・・・」

 ちょうどその時、電話が鳴った。普通の呼び出し音とは違う、内線電話。
 手近な一つに手を伸ばしながら、氷室はもう一度葉月を見て小さく笑った。

「ああ、君か。―――そうか、判った」

 いつものように堅苦しい声。手短にただそれだけを言って受話器を置く。

「・・・・・・先生?」

 その声質とは裏腹に、どこか楽しげな表情を浮かべている。

「ご苦労だった。―――遅くまで引き止めて悪かったな」
「・・・・・・もう、いいんですか?」

 まだほとんどが未処理のままで、プリントは乱雑に机に放り出されている。
 手を伸ばしてそれらを片付けながら、氷室は言った。

「ああ、構わない。―――災難だった、と言いたい所だが」
「?」
「文句は発案者に言いなさい」










 教室の入口で、葉月はその様子をただぼんやりと見つめた。
 人気のない放課後の教室。
 先程までのせわしなかった時間から上手に意識を戻せなくて、その誰もいない空間に彼女の残像を探してしまう。

 誰にでも屈託なく浮かべる笑顔。
 時折見せる物憂げな表情。

 教室を出たときは、数人の女友達と楽しそうに話をしていた。振り返ると一瞬目が合って、少し赤い顔をしながら手を振っていた。


 心は、些細な事も鮮明に焼きつけて忘れることを許さない。
 昔の思い出を未だ引きずっているように―――。



 今日に何かを期待していた。しかし引き止められた時間がこう長くては、流石に帰路に着いたに違いない。

(―――何を?)

 そして『期待』すら、とうの昔に捨てた感情だった事に改めて気が付く。
 封印していた様々な気持ちを掘り起こしては葉月に突きつけていく彼女。





 再会を奇跡と喜んだのは自分ひとり。彼女は変わらない笑顔で、―――でも葉月を覚えてはいなかった。
 けれど。
 その事に囚われていた葉月を救ったのも、やはり彼女だったのだ。





 鞄を取ろうと向かった自分の机、その上に。葉月は彼女のメモを見つけた。

『調理室で待ってます』










 現在と、過去と。
 未来を繋ぐ一本のライン。


 誤解と羨望と嫉妬を浴びる事に嫌悪を感じて、人と係わる事を避けてきた自分のその線は、とても判りやすい軌跡で。

 ―――そのライン上には、必ず彼女がいた。そして彼女しかいなかった。

 排他にはリスクが伴って、高校までずっと一人を選んでいた自分を振り返る。
 彼女に再び出会うまでのあの孤独な時に返る事など、想像するだけで翼のもがれる思いがするから。

 メモ用紙一枚で簡単に浮上する気持ちを哂いながら、辿りついた調理室のドアに手を伸ばす。


 彼女の笑顔を描いて。










 ―――弾ける音、沢山の。


 そして、色とりどりの細いテープが降ってきた。
 呆気に取られて見上げた宙からは、紙吹雪が葉月を迎える。

「お誕生日、おめでとう!!」

 幾つもの声が聞こえて。戻した視線の先には、複数の見知った顔、顔。

「あはは、固まってるよ、このヒト」
「・・・・・・成功かしら」
「良かったねえ。準備頑張った甲斐があったよね」
「あら、こういうときはもっと驚いてくれた方が良くはなくて?」
「だよなあ!もっとリアクションないのかよー」
「いやいや、充分驚いてるやろ。こいつ」
「クラッカーを浴びるキミも随分と芸術的だったよ」
「・・・・・・すみません。気を悪くされてませんか?」
「自分もお祝いできて嬉しいッス!」

 口々に彼らはそんなことを言って、頭に紙吹雪を乗せたまま固まっている葉月を笑顔で迎えた。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「何か言わないの?」

 藤井が近づいてきて、ニヤニヤと笑いながら葉月を見上げる。
 後ろでは見守るような、そして心配そうな彼女の姿も在って。

「・・・・・・・・・・・・驚いた」

 本心からそう言うと、それに合わせて皆が声をあげた。







 お誕生日会だという子供染みたイベントは、彼女の話を聞いて藤井たちが企画したものらしかった。
 土曜の放課後、折角だからと調理室の申請許可を取って、昼食とケーキを用意してくれたのは女性陣、どうせならサプライズパーティーにしようと、下手な策を講じて葉月を足止めしていたのは男性陣。

「氷室先生まで巻き込んじゃった」

 彼女は切り分けたケーキを葉月に渡しながら、おかしそうに笑う。

「あのプリントもそうか」
「うん、調理室の担当の先生、今日は残れないからって言ってたら、氷室先生をなっちんが口説いてくれて」
「へえ。・・・・・・アイツ、凄いな」
「ほんとにねー。―――その上、皆足止め下手だったでしょ?・・・・・・昼食と交換条件で切り札になって貰ったの」
「―――あの人相手に、良くそんなこと出来たな」
「皆で束になって・・・・・・力技、かな?」

 遅れてやってきた氷室もつかず離れずの距離ではあるが、その中に加わり、成功だったのか、と葉月に尋ねた。

「・・・・・・驚きました」
「それならよろしい。―――ああ、誕生日おめでとう」
「・・・・・・・・・・・・ありがとう、ございます」
「礼なら、皆と―――発案者に言うんだな。こういう事は歓迎する・・・・・・本分を全うしてこそ、だが」





**********





「今日は楽しんでもらえたかなあ」

 帰り道、ぽつりと彼女は言った。
 いつも寄り道をする公園がそろそろ夕闇に沈む頃で、伸びる影を見下ろしたまま。

「ああ。―――このプレゼントも、嬉しかった。・・・・・・サンキュ」

 手には皆から渡された花束と、彼女からの一輪挿し。

「今年も猫シリーズにしようと思ったんだけど」
「シリーズ?」
「そう、今年はパジャマとか。着ぐるみで・・・・・・」
「いいな、それ。―――お前に着せたい」
「・・・・・・そうじゃなくて!」
「知ってるか?―――猫って一緒に寝ると暖かいんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・も、もうっ」

 沈黙の後、頬を染めた彼女は上目使いに葉月を睨んだ。


 そんな仕草もただ、愛しいだけ。





 彼女さえ居ればいいと思っている事は真実。
 しかし彼女はそんな葉月の想いを飛び越えて、それ以上の物を葉月に与えてくれるのだ。

 誰にでも屈託なく笑い。
 人の作った垣根を上手に飛び越えて、新しい世界を―――。

(俺にまで見せてくれる)



 おめでとう、の一言を。
 こんなに幸せな気持ちで聞いたのは初めてかもしれない。



 再会してから、誕生日には欠かさず彼女は祝ってくれて、そして葉月の趣向に合わせた贈り物も用意してくれた。
 それは思いを募らせて、彼女無しではありえない自分を自覚させていったけれど。



 掻き立てられるばかりではない、もっと穏やかな、優しい気持ちを。



 今日のこの日を祝ってくれるという人達を。







 彼女は、三年目のプレゼントに選んでくれたのだ。










 それは他人との接触を拒んできた自分にとって、初めての出来事。







 その優しさに胸が熱くなる。
 泣きたくなるほどに、愛しい想い。




 





「・・・・・・最後になっちゃうかもしれないから、珪くんの思い出に残るようなこと、したかったの」
「最後?」
「来年は卒業しちゃうから。でも、こうして皆とお祝いしたら、今日のこの日のこと忘れないで貰えるかもしれないって、―――そう思って」





 自分の軌跡は、彼女の上をなぞるように。
 それは間違いなく。


 ―――未来へのラインも。



「今年で、最後なのか?」
「・・・・・・・・・・・・もちろん来年もお祝いできたらって思うけど、でも」
「でも?」
「クラスが同じとか、学校が同じとか。そういう理由がないと迷惑かな、って・・・・・・」


「理由なんかいらない」


 プレゼントはいらない。
 ―――いや。


「迷惑なんかじゃない」


 来年も隣で祝ってくれる事こそ。
 葉月にとっての最高の贈り物なのだから。





 足元に視線を移し、小さく言葉を繋げる彼女に、葉月はもう一度尋ねる。

「なあ・・・・・・今年で、最後か?」

 そっと片手を伸ばして引き寄せて。

 そのまま両手で抱え込んで動きを封じて。



 腕の中で慌てる彼女の答えを待った。

(強引な手段でも―――もう・・・・・・)





「―――来年は?」
「ら、来年も・・・・・・おめでとう、言わせてくれる?」


 引き離された過去を、再会できた現在を思い遣る。

(逃がさない)



 ―――この腕の中に彼女を抱いていられるように。


「来年だけか?」


 ―――その先もずっと彼女とあれるように。





 これからは、自分の手でラインを引こう。





Fin





拙いなりに一月という長くて短い時間、精一杯王子をお祝いしてきました。
特に企画があるわけでもないこのサイトを盛り上げてくださったのは、間違いなく皆さんで。
なっちん達のように、王子のお誕生日を忘れられない思い出にして下さった
その皆さんの優しさに、心から感謝いたします。

皆様へのお礼を込めて、最後にがちゃさんと相談をして
感謝の気持ち一杯のイラストとSSをアップさせて頂きました。


そして出来る事なら、来年も、その先もずっと。
皆さんと彼の誕生日を祝う事が出来ますよう・・・・・・。

本当に、本当に、どうもありがとうございました。